俳句の会に参加しています。
1月の定例会(17日)の俳句をブログに残します。
たちま
冬至の日 忽ちにして 闇深し
新春の つつがなき日や 白き眉
ありのまま あるがままなり 冬北斗
冬すみれ 水をもとめて 根をおろす
なゆた
俳句の会に参加しています。
1月の定例会(17日)の俳句をブログに残します。
たちま
冬至の日 忽ちにして 闇深し
新春の つつがなき日や 白き眉
ありのまま あるがままなり 冬北斗
冬すみれ 水をもとめて 根をおろす
なゆた
三日ほど、熱が出て何にも手につかないでいる。
きっと、インフルエンザだと思う。
流行に敏感なのは、果たしていい事なんだろうか⁉。。。
体温計の温度は、38.1℃。
いつまでこんな感じが続く事やら・・・。
『風見鶏』
風見鶏はダメな奴
南風が吹いてくると
まっしぐらに南に顔を向ける
ちょっと北風に吹かれると
すぐに尻を向けてしらんぷり
自分がないんだな
風見鶏はイヤな奴
世渡りはうまいけど
嫌われるのが一番いやで
だから日和見しちゃうんだ
そして
誰からも信頼されなくなる
根っこのない
浮草のような心をみんなお見通しなんだ
だけど
ぼくもおなじなのかもしれない
きっと淋しいんだな
なゆた
『通り雨のように・・・』
幸せと感じる時
心の片隅で
この幸せがいつまで続くのかと
不安になる
不幸に直面すると
ため息ばかりついて
次に起こる事が悲しいことに見え
ほんとに不幸な人間だと思える
こんな心の動きは僕だけのことなんだろうか・・・。
若い頃、こんな風にばかり考えていた
この頃になって
違った感覚で物事を見れるようになった
心の中で何が変わったのか
よくは判らないけれど
誰が悪いのでもなく
晴天の日の通り雨のように
たまたま
運が悪かっただけの事だと思えるようになった
哀しみや悔しさを糧に生きるのもいいと思える
花たちは苦土に助けられ
肥やしをいっぱい貯めた根が
鮮やかな花を咲かせるという
なゆた
大都会に憧れて生活したいと願うのは、若者には極々自然な事なのでしょう。
しかし、生活してみると何故か言いしれない孤独のようなものを感じたり、閉塞感を味わったりもするものです。
考えてみると、大都市の歯車のひとつになってしまった「籠の鳥」状態なのでしょう。
人間の作ったメガロポリスの一欠片は、今や不毛な砂漠なのかも知れません。
そんな都会から帰ってくる子供達をどのように労うのか?
やっぱり。癒しの空間作りが重要かも。
何も考えず、昔の親と子の裸の心で振舞うことにしよう。
『裸の心』
山家生まれの頬白(ほおじろ)は
街が見たいと鳴きまする
見たこともない街並みを
飛んでみたいと鳴きまする
父さん母さん相談し
一度だけはと許します
夜に帰ると約束し
うれし楽しと鳴きまする
自由気ままが楽しいと
さえずりながら飛びまする
いつのまにやらお眠むして
いつのまにやら夜になる
目覚めて驚く頬白は
どこにも行けぬと鳴きまする
籠に飼われた頬白は
困る事など何もない
街で飼われた頬白は
森に帰ると鳴きまする
母が恋しと鳴きまする
日毎夜毎に鳴きまする
なゆた
『朧なる月』
焼き尽す情熱は
胸を焦がし
降り注ぐ光となり
はらはらと言の葉は
至高の淡き時を
煌めいて静寂をきそう
朧月夜に
今宵だけはと許しを乞い
道に迷い命を燃やす
煉獄の炎に
うながされ
穏やかに冷めて
ささくれた心が
無邪気には
愛せぬと呟く
悔いいる心は
仮そめの恋に
あらずやと囁く
蒼き日の輪郭は
色褪せし烙印と化し
深く刻まれた終生の仇となる
なゆた
月のしずく - RUI (高音質/歌詞付き/Romanized)