日々のつれづれ

詩や日々の出来事を心の趣くがままにUPしています。

『接吻』 究極の愛

読者にして頂いているお一人のブログにクリムトの「接吻」の絵画がありました。
何故か、触発された感でブログを綴っています。


もう100年以上も前に描かれた名画
クリムトの絵画には、人を引き付けてやまない魅力があります。
こんな言葉を書けるようになった私も大人になったな〜と
感慨無量(笑)


クリムトは恋多き男
赤裸々で官能的なテーマを描き
生涯独身


その作品は甘美で妖艶
常に死の香りが付き纏う
 ※「接吻」の絵画の一番下右を見て頂きたい。何故か、二人の足元は
   断崖絶壁・・・。


一貫したテーマは
伝統や規範からの決別
知性、精神そして社会からの解放など かな


そして、エゴンシーレとの師弟関係?・・・にも。。。何だろうな~
異次元のものを感じます。
エゴンシーレの事も、時間が有ればブログにアップしたいと思います。^^
ちょっと、禍々しい絵画なので躊躇しながらいますけどね(-_-;)
クリムトの「接吻」をモチーフに書いた「枢機卿と尼僧」なる絵画
やっぱり、ブログにアップはやめときます。


興味のある方は、ネットでググって見てください。 m(__)m




~~~~~~~


「接吻」


幾つもの恋の終わりを経験し
その恋を知ったからこそ
瞬間を支配する二人がいる


煌めくマントを纏った男
金色の丸い花のドレスの女
優しく包む両手を女の頭に回し
まさに唇を合わせようとしている


女の恍惚は
男の首にまわされた手の表情
肩をすくませ
それでいて身をまかせる女性の顔からも窺い知ることが出来る


甘美で妖艶な色彩と情動


精神の繋がりと肉体の繋がりとが
男女の愛の形を象徴するかのようだ


恋の絶頂を描き
恍惚として抱擁する姿


絶壁に立つ二人
男女の愛は儚い一瞬を標榜し
崖下は死の世界を具現する


愛は死と共に在り
隣り合うことで輝きを増す


愛と死の世界を対峙しながら
一瞬が永久に祝福される姿を描く


                 なゆた       



※グスタフ クリムト
 帝政オーストリアの画家。(1862年7月14日 - 1918年2月6日没)

今年の家庭菜園(1)

去年は、色々事情が有って家庭菜園をお休みしていましたが今年からまた再開です。
今、育てているのは夏野菜。
収穫までまだまだ時間がかかりそうですが生育記録のような
ブログになればと思っています。


60㎡ほどの畑をレンタルし野菜を栽培中。この畑は、モグラの通行ルートになっていて
朝なぜか畝が盛り上がっていることがある。
通路になった上の野菜は半分ぐらいダメかな。


茄子、インゲン、きゅうりは順調。茄子はもう少し成長させてから花を付けさせたいかな


ミニトマトは、可愛がりすぎで栄養過多。上の葉が丸まっている。反省



鉛筆ほどのきゅうりが出来始めた。虫に葉っぱが食害されているのは、
ラディッシュ(二十日大根)。それでも収穫が出来、サラダにいいかも^^
播種30日ぐらいから収穫しています。


かぼちゃは、二本立てで育てる予定。ここには、3苗を定植しています。
早く大きくなってほしい。かぼちゃは人口受粉なので朝早くに雄しべと雌しべの
花合わせをしないといけない。


その他、チンゲン菜・小松菜は虫よけしながら栽培中。
里芋、さつまいも、オクラも栽培中
まだまだ、お見せできるほどではないので次回にでも
お見せできればと思います。


                         なゆた

『蒼の時代』

読者皆さま方へ
古めかしい言葉の詩ばかりアップしております。
解釈が難しく面倒くさいなぁ~と閉口されている方もおろうかと思います。
お許しくださいませ m(__)m


さりとて、
おじさんにだって甘酸っぱい青春の軌跡が有ったこと(アリバイ)ぐらいは
ゆるく自己主張させてください^^。


純粋だった(現在進行形?)心の機微を読み取っていただけると嬉しいです。



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『蒼の時代』


季節の移ろいに
四季の変化があるように
色とりどりに変りゆく胸の想い


極彩色がやけに
しらじらしく見えた時代
色褪せないものなど有りはしないのに・・・
今も心を絞めつける遠いこだま


青春を色になぞらえ
書き留めた言葉


透き通った声
澄み切った純真
とび色の瞳
紅き唇
憂いの紫
みどりの黒髪
朗らかな白
七色に輝く希望


どれもぜんぶ君だった


                  なゆた


『ただ花は咲く』

私の住む街では、水と緑、文化と歴史、富士山の景観など、昔からの市民の宝物に
「花」という癒しの彩りを添えることで地域の活性化につなげようとしています。


私たちもそれに賛同し有志で地域花壇を作っています。
花壇の広さは1,000㎡ぐらいです。
5月のゴールデンウィークの様子を写真に撮りました。
見て頂けると嬉しいです


スマホなので上手には撮れなかったかも(-_-;)





                      なゆた

『泥に咲く花』

お気に入りのブログに睡蓮の素敵な写真がアップされていました。
今が盛りの花ですね
睡蓮で思い起こされるのは、やはり「モネの睡蓮」でしょうか?


私は、この花を「睡蓮」と言ってみたり「蓮」と言ってみたり、節操のない事甚だしい。
厳密な違いが有るようなのでチョット紹介します。


『「睡蓮」と「蓮」の違いを一目で区別するポイントは花の咲き方。葉とともに水面に
 浮かんでいるような姿で花が咲くのは「睡蓮」。その一方で「蓮」には茎があり、花
 も葉も水面より高い位置にあるのが大きな特徴です。』


だそうです^^


モネの睡蓮



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『泥に咲く花』


生まれながらに
薄暗い地中に命を紡ぐもの
それは宿命なのかも知れない


まだ一度として
燦々と降り注ぐ陽の光を
見たことがないと呟く


何の因果で
じめじめとした冷たい地中に
命を授かったのか


汚泥の中に
住まう事を良しとしない心は
天に向かい手を伸ばし始める


ただ精一杯の
運命に対する反逆
恋焦がれる誰かを求めるように


薄暗い土の底から
首を一つ出すと
生温かい水が心地よく沁みこんでくる


もう少しで
願っても叶わなかった
水のおもてに華をさかせる


水面をキラキラと泳ぐ光の天使たちに
挨拶しながら
憧れとも希望ともつかない高揚感に揺らめいている


何の取り得もないまま
ただ黙々と天を目指した夢が
すぐそこにある


大きく深呼吸をし
緑の葉を精一杯広げ
命の高まりを吸い込んでいく


水面に葉を漂わせ
音もなく
薄紅の華を広げる


その出来事を
見つめていたのは
ただ静寂だけだった


夢は願うもの
夢は叶うもの
夢は自らの手で掴むもの


そう諭すように
ただ、うらら
華は自慢げに咲き誇っている


                     なゆた