日々のつれづれ

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「龍安寺にて」

京都には、日本の枯山水庭園の最高峰とされる龍安寺の枯山水庭園があります。
どれぐらい前になるのでしょうか。
最初に、あの庭を見た時、小さな庭園に宇宙の広がりのようなものを感じました。


龍安寺の石庭には、4つの謎を秘めているようです。


謎① 刻印の謎(作者不明の謎)
この石庭が作られたのは 室町時代とされていますが
作者が誰かはわかっていません。
塀の近くにある細い石の裏に 小太郎、□二郎 という刻印がされているらしいのですが
これも 作者の名前なのかどうか断定はできず
これはもう 永遠のミステリー。


謎② 作庭の謎(15個の奇石の意味する謎)
この75坪の白砂の空間に置かれた15個の奇石。
どんな意味を持って この配置にしたのか。
作者はこの白砂の空間に何を託したのか。
その意図は諸説ありますが、
結局のところ 鑑賞する者の自由な解釈と連想に委ねるしかないということ。


謎③ 遠近の謎 & 謎④ 土塀の謎(遠近法の渡来の謎、油土塀の謎)
石庭の広さは75坪。25メートルプールとほぼ同じ大きさ。
しかし実際より広く見える。
パッと見は気づかないのですが実はこの石庭、東南方向に向かって低くなるように造られています。また、西側の土塀も手前から奥にいくに従って低くなっています。
遠近法を利用して 鑑賞する人に、奥行きを感じさせ 空間を広く見せる工夫をしている。


ところで、遠近法は東洋と西洋でそれぞれ発達しました。
東洋の技法は飛鳥時代、西洋の技法は桃山・江戸末期・明治の各時期に
日本に伝来したと言われています。
龍安寺の石庭には東洋と西洋、どちらの技法が用いられたのでしょうか?
疑問をネットで見かけるのですが、龍安寺の石庭の作庭時期は室町時代と推測されているのでそう考えると東洋の技法ってことになります。



もうひとつ印象的だったのは、
茶室の路地にひっそりと手や口を清める蹲踞があります。
そこに刻まれた言葉。お洒落な配置で「吾唯足知」と書かれています。
きっと、禅の高僧が編み出したのでしょうか。
とても深みを感じた言葉だとおもいます。
茶道と禅とは、表裏一体の関係にあることも興味深かったように覚えています。




「龍安寺の歴史詳細」前の謎とかぶりますが、ガイドブック風にはこちらの方が
 いいのでしょうか?
枯山水庭園が有名な京都の古寺。
もともと大徳寺家の別荘を1450年(宝徳2年)に管領細川勝元が譲り受け、禅寺に改めたが1467年(応仁元年)から1478年(文明9年)まで続いた応仁の乱によって寺は焼失。
その後、細川勝元の息子である細川政元らの手によって1499(明応8年)年に再興されたことで現在まで続いています。
石庭として知られる傑れた枯山水の様式をもつ方丈庭園は東西25メートル、南北10メートルの粛然たる空間であり、見る者の感性への問いかけともとれる神妙な空気感が漂い、この石庭の見所ともいえる水のない地面に白い小石で水面の波紋や様相を表現する枯山水に加え、意味深長に配置された15個の石などで構成される極端なまでに象徴化された庭は多くの謎に包まれています。
いくつかの不思議の中でも配置された石がどの角度から見ても14個しか見えない構図になっていることについて、これらが計算の上で構成されたのか、はたまた奇跡的にこのような構図ができたのか、さらにはこの先に意図することは何なのかなど答えの出ない多様な解釈があり、我々を哲学ロマンの世界に引き込みます。
菜種油を混ぜ込んだ土で造られた油土塀は奥へ行くほど傾斜が目立ち、遠近法の技巧が凝らされており、壁に区切られて小さくまとまった空間ながらも張り詰めた独特の雰囲気が漂っています。
石庭を前にして据わると眼前に知覚できる枯山水の庭園だけでなく、広縁の材木の質感であったり、どこからか聞こえてくる鶯や蛙といった生き物たちの鳴き声、寺院独特の香りというような自身を取り巻く些細な環境にも必然的に敏感になり、普段は内在しているものの日常で研ぎ澄まされていなかった感覚を認識できること間違いなし。
鏡容池の嵩を計るために置かれた水分石(みくまりいし)や方丈庭園から見て建物の裏手に置かれた、口をという文字を互いに共有して吾唯足知(吾唯足るを知る)という言葉が完成する蹲踞(つくばい)、日本最古の侘助椿がなど、他にも見どころは多いですので事前に調べて行ったり、細かに観察するとより龍安寺を楽しめることでしょう。


非日常的な静寂の中で精神を研ぎ澄ませて没入を体感することで意味で知ったつもりでいた日本の文化についてカルチャーショックを受けることでしょう。
世界遺産にも認められる京都の有名観光地である以上に日本の文化の良さが凝縮された最高の場所ですので人生で一度は訪れてみてください。




※※※



枯山水の石庭に
幽玄を想い
時の栖(すみか)に佇む


いにしえ人は
小さき我を悟らしめ
知足を促す


これぞ智恵なり


傍らには『吾唯足知』と
刻まれし蹲踞(つくばい)一つ


自らの至らなさを知る


                 なゆた